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在仏ミラノ大使は語る

9月14日、ユイが陥落する少し前の日付ですね。シャルルと家臣団は10月8日にリエージュ市を攻撃するために軍隊出動の見積もりを行っていたそうです。9月の半ばを過ぎたころには徴兵命令が発動され、フラマン圏の街には槍兵の徴集が命じられてブルゴーニュ公の家臣ふたり…ヘルレ公とクレーフェ公にブリュッセルまで来て本隊と合流しろ、との出動要請があったようで。ついでにイングランド王、ライン・プファルツ辺境伯やドイ...

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最後のページをチラ見…

※Charles THE BOLDの最後の1ページとアシュトン・ドレイク復刻ブライス5弾。 ははは、見ろ!画像が遺影のようだ!なんかどうも眠れなかったので、Charles THE BOLDの最後のページを辞書も引かずに(笑)パラ見してました。以下分かる単語だけを拾った超適当意訳。カッコ内は個人的な補足事項です。『凍りつきしかも判別しがたくなっている戦場の死体の中から2日をかけて入念に捜索した結果、 44歳を迎えることのなかった公(...

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シャルル・ド・ブルゴーニュと緑の天幕団

先のリエージュの会戦で、例の善良公の庶子のアンソニー…じゃなかったアントワーヌが兵を率いてベーリンゲン地方に歩を進めていたようです。まあその話はおいといて。フィリップ善良公の死の前日、ブラバントの議会の人々にシャロレ伯シャルルがお手紙を廻したそうで、その内容というのが例のリエージュの過激分子さんたちについてのこと。ルイ・ド・ブルボンのいるユイ(蘭・ホーエイ)の街を狙って『緑の天幕団』が不穏な動きを...

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異分子・リエージュ

『マリーヌ(蘭・メヘレン)で叛乱が起こったのは、シャルルがリエージュへ兵を向ける準備をしていた時である。このリエージュはリエージュ司教の管轄下に置かれており、1456年からはシャルルの従兄弟にあたるルイ・ド・ブルボンが治めていた。この人気のなかったリエージュ司教に対して、ヘールス領主のラエス・ド・リントゥレが1465年に叛乱を起こし、リエージュの人々はフランス王ルイ11世の協力を得てフィリップ善良公...

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Ghent(ガン)で叛乱、その後

『フランドルはブルゴーニュ公国に支配されてはいたものの、かなり自由な気風の強い土地だった。 だからかしばしばブルゴーニュ公に対する叛乱がそこかしこで起こっていた。1467年にはアルトワ のサン・トメールで叛乱が起こり、公が20000フランの罰金を課した。アントワープでは9月5日 のシャルルの入城式前に叛乱が起きた』で、今度はマリーヌ(蘭・メヘレン)で叛乱が起こったらしい。大まかな内容はこんな感じ。...

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minomushi106

Author:minomushi106

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