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リチャード3世bot内の一行AA(顔文字)対照一覧表・3

~百年戦争・後半期:イングランド劣勢期(1435-1453)の人物~

(ヽ'∀`)←イングランド王ヘンリー6世(ヘンリー・オブ・ウィンザー)
父ヘンリー5世が赤痢に罹患し死去したことで、当年でイングランド王位と
フランス王位を戴いた。ベドフォード公ジョンの手配でパリに渡りフランス王
アンリとして戴冠も行ったが叔父のフランス王太子シャルルが先立ってランス
に於いて戴冠と聖油塗布を済ませており、ヘンリーをフランス王と認めたフランス
貴族はごく少数であった。

そもそもフランス国内において

ランスでの戴冠>>>>>>>>>>|越えられない壁|>>>>>パリでの戴冠
が当時の共通認識であったので、最初っからヘンリーにとっては不利。これは不憫。
ヘンリー5世がシャルル6世より後に亡くなっていたらまだもう少し有利になれた…

ベドフォード公ジョンが死去した1435年を機に、イングランドの対フランス戦線は
あからさまな後退を始めることになる。

(゚」゚)←護国卿にしてグロースター公ハンフリー
(ハンフリー・オブ・ランカスター)
兄ベドフォード公の死去に伴い、対フランス戦線を強硬に推し進めたけどだいたい失敗。
同盟国ブルゴーニュ公国に喧嘩を売る・イングランドの十字軍資金を戦費に廻す等の
絶許行為多数で戦線を後退させまくるという無能っぷりを晒す。
何が『善き公爵』だというのか。

イングランド国内では対フランス和平派貴族とも衝突しまくり、グロースター公妃
エリナーが『魔女疑惑』をかけられて罰されたのをきっかけに彼の権威はボロボロに。
和平派貴族筆頭のサフォーク公ウィリアムが彼をベリー・セント・エドマンズに召喚
して現地に赴いた結果逮捕され、卒中を起こして無事死亡。

(´^Д^)←護国卿にしてヨーク公リチャード・プランタジネット
ケンブリッジ伯リチャード・オブ・コニスバラの嫡男として生まれ、ベドフォード公
ジョンのもとで対フランス戦線の一翼を担う。

ルーアン総督として百年戦争後半戦を戦うも、上司や同僚のアカン采配のせいで負け
が込み戦線はどんどん後退。イングランドに戻ってからはアイルランド総督などの
地方ドサ回りにしばらく専念していたが、1453年のカスティヨンの戦いに際して
イングランド王ヘンリー6世がメンタルをおかしくしたのをきっかけに護国卿となる。

護国卿としてイングランドの国政にかかわることとなったリチャードであったが、
王妃マルグリット・ダンジューと思いっきり衝突。
イングランド王ヘンリー6世に自身の王位継承権を認めさせるなどの逸脱行為が災いし
王妃および国王派貴族と折り合いを悪くした結果、ウェイクフィールドの戦いで無事
戦死。

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